荒川十太夫

講談の名作、「荒川十太夫」をご存知でしょうか?
300もある「赤穂義士外伝」の作品のうちの一つです。

令和四年、芸術祭十月大歌舞伎にて上演される「荒川十太夫」
なぜ講談の作品をもとに、新作歌舞伎が作られたのか。
そもそも講談ってどんな芸能なのか。
胸が熱くなる、このお話の見所などを、解説していきます。

新作歌舞伎とは

歌舞伎は江戸時代に作られたもの。難しい言葉で理解できないもの。
と思っている方もいらっしゃるかもしれません。

ですが、長い歌舞伎の歴史の中で、新作はいつの時代も作り続けられているのです。

近年では、漫画「ワンピース」からスーパー歌舞伎Ⅱ(セカンド)が生まれたり、
アニメ「風の谷のナウシカ」から新作歌舞伎が生まれたりしています。

原作のファンの方には新しい発見を、原作を知らない歌舞伎フリークにも、
歌舞伎らしさを存分に楽しめるような、そんな作品が増えているような気がします。

分かりやすいセリフと、テンポの良い舞台転換、歌舞伎ならではの演出。
新作歌舞伎には、現代劇とは一味違う、歌舞伎でしか表現できない魅力があるのです。

こちらの「荒川十太夫」も、講談の口跡そのままに、テンポの良い場面転換で、
一人の講談師から繰り広げられる口演とはまた違った、歌舞伎らしい演出方法で、
涙を誘う物語をしっとりと表現しています。

講談「荒川十太夫」が新作歌舞伎になるまで

「荒川十太夫」は、講談師で人間国宝の、神田松鯉(しょうり)さんが得意とする演目で、
弟子の神田伯山さんも口演なさっている作品です。

尾上松緑さんの発案

ある日、歌舞伎俳優の尾上松緑さんが、楽屋で拵えをしながら、
神田伯山さんの口演「荒川十太夫」を聴いていたそうです。
耳で聴いているだけなのに、脳裏には情景がありありと浮かび、
歌舞伎座の大道具、小道具、衣装に至るまで、はっきりと見えたとのこと。
そこで松竹に相談したところ、面白そうだということで、
令和四年芸術祭十月大歌舞伎で、上演される運びとなったそうです。

神田伯山さんと尾上松緑さんが語る

上演に先駆けて歌舞伎座ギャラリーでのお二人の対談

講談について簡単に説明

講談師、神田伯山さんも「絶滅危惧職種」と自虐的におっしゃっておりますが、
講談をしっかりと聴いたことのある方は、少ないのではないでしょうか?

東京では五派

現在、東京の講談界では一龍斎(いちりゅうさい)、宝井、田辺、桃川、神田と5つの派があります。

昭和中期から後期に活躍したカリスマ性のある講釈師が、多くの門弟を集め、
それぞれの派ならでの、お家の芸やカラーがあるそうです。

講談師、見てきたような嘘をつき

高座に置かれた釈台(しゃくだい)と呼ばれる机の前に座り、張り扇(はりおうぎ)を叩いて
調子を取りつつ、軍記物や歴史上の出来事などを読み聞かせる講談。

読み聞かせると書きましたが、講談はその昔、釈台に台本を載せて読んだことから、
今でも語るとは言わずに、読むと言います。講談師の方も、口演の最後に
「これにて読み終わり」とおっしゃるのですが、現在では台本を置いて読むことは少なく、
言葉だけ名残として残っているのが面白いですね。

「講釈師、見てきたような嘘をつき」とは有名なフレーズですが、
講談は、歴史上の出来事を語るとは言いつつも、かなりの虚を含んだ虚実ないまぜの
お話をダイナミックに読み聞かせてくださいますので、その迫力と高揚感は独特です。

伯山さんの講談を聴いて、舞台の映像がありありと浮かんだ松緑さんのお気持ちが、よく分かる気がします。

「荒川十太夫」あらすじ

赤穂義士の七回忌を弔う人々が行きかう、泉岳寺の門前。

下級武士に似合わしくない姿でやってきたのは、伊予松平家の徒士侍、荒川十太夫。

偶然、居合わせた松平家目付役の杉田五左衛門は、武士が身分を偽ることは大罪であると、

十太夫を咎めます。

後刻、取り調べの場で松平隠岐守より身分を偽った理由を問われた十太夫は、

赤穂義士の一人、堀部安兵衛の介錯をつとめた日のことを語り始め…。

討入りを果たした赤穂義士、堀部安兵衛の切腹の際に介錯をつとめた、

荒川十太夫の苦悩と覚悟を描いた講談の名作が、新作歌舞伎となって歌舞伎座に登場します。

歌舞伎美人 公演情報 みどころ

十太夫が取り調べの場で述懐する、堀部安兵衛の介錯をつとめたエピソードが、
非常にドラマティックな演出で展開します。

舞台と客席が一体となったような雰囲気で、皆が固唾を呑んで見守る中、
堀部安兵衛が美しい所作で果て、十太夫の自責の念が我が事のように、のしかかってきます。

ですが、その後の展開は、名君による人情に溢れた結末となりますので、
皆さま、晴れやかなお気持ちで、劇場を後にできることと思います。

この物語の背景にある赤穂浪士討ち入り事件とは

さて、最後にこの物語のもとになる、赤穂浪士の討ち入り事件、
いわゆる忠臣蔵の史実について、お話ししておきたいと思います。

歌舞伎は、江戸時代のワイドショーとも言われますが、
実際の事件をもとにして作られたお話は、史実を知ってから見ると、するりと内容が入ってきます。

江戸の庶民が、昨日あったスキャンダルを今日、舞台で見るかのように、
皆さんもぜひ理解を深めてから、ご観劇くださると、より歌舞伎が楽しめると思います。

江戸城 松之廊下の刃傷事件

元禄14年(1701)3月14日 

勅使饗応役(ちょくしきょうおうやく);朝廷からの使者をもてなすお役
を命ぜられた浅野内匠頭が、高家筆頭(こうけひっとう);おもてなしの指南役
である吉良上野介を突如斬りつけたが失敗。

喧嘩両成敗にならず、浅野内匠頭は即日切腹、吉良上野介はお咎めなしの沙汰が下る。

赤穂浪士討ち入り事件

家名断絶、城地没収となった浅野家の家臣たちは、不公平な裁きに不満を募らせ・・・

元禄15年12月14日(刃傷事件から1年半後) 早朝4時ごろ、
赤穂浪士47人が本所松坂町(現在の墨田区・本所松坂町公園のあたり)の吉良邸へ討ち入り。
1時間ほどの攻防の末、吉良上野介の首を討ち取り、
芝の泉岳寺にある、浅野内匠頭の墓前へ、上野介の首を手向ける。

ちなみに、吉良邸から泉岳寺までは12kmに及ぶ道のりだそうです。
戦いに疲れ果てた浪士たちが3時間もかけて歩いたということは、驚きです。

浪士たちは、その日のうちに大名家4家へ、身元を預けられます。

  • 細川家 高輪下屋敷(港区高輪):大石内蔵助 他16人
  • 水野家 芝中屋敷(慶応仲通り):9名
  • 毛利家 日ヶ窪下屋敷(六本木ヒルズ):10名
  • 松平家 三田中屋敷(三田イタリア大使館):大石主税、堀部安兵衛 他8名

切腹

元禄16年2月4日(当主の浅野内匠頭が刃傷事件をおこし、切腹してから約2年後)
それぞれのお預け先で、作法に則り切腹。これが、のちに忠臣蔵となる、赤穂事件の顛末です。

歌舞伎の忠臣蔵について

皆様よくご存知の「忠臣蔵」は、寛永元年(1748)8月14日に大阪竹本座で、
「仮名手本忠臣蔵」として人形浄瑠璃が上演され、大ヒットしました。
そのヒットに乗じて、同年12月に歌舞伎に直され上演。
そのひと月後の寛永二年1月には、江戸人形浄瑠璃が上演され、
さらにひと月後に歌舞伎が上演されるという、大フィーバーが起こったのでした。

江戸時代には、幕府批判にあたるとして、歴史上の出来事といえども、
お芝居で、実名を使うのは禁止されていましたので、登場人物の名前が少しずつ変えられています。

今後、仮名手本忠臣蔵をご覧になるときは、最初ちょっと慣れないかもしれませんが、
徐々に違和感がなくなっていくと思いますので、観劇の機会がありましたら、どうぞご覧になってみてください。

いかがでしたでしょうか?
今回の「荒川十太夫」というお話は、忠臣蔵に出てくる主要人物に絡んだ、
歴史には名前が登場しない人々を描いた、「赤穂義士外伝」のうちの作品です。

今で言う、スピンオフですね。
機会があれば、主となる「仮名手本忠臣蔵」も、ぜひご覧ください。
私も後日、解説を載せますので、どうぞお楽しみになさってください。

新作歌舞伎,演目解説

Posted by yumiko